ポイント解説か行(21首)

point-1柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)

第3番
柿本人麻呂
(かきのもとのひとまろ)

あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む

☆ あしびきの やまどりのをの しだりをの ながながしよを ひとりかもねむ
★ あしびきの やまどりのおの しだりおの ながながしよを ひとりかもねん

小倉百人一首_柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ) 小倉百人一首_柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の意味  山鳥の長く垂れ下がっている尾のように長い長い夜を愛するひとと離ればなれになって、ひとり寂しく寝るのだろうなぁ。

小倉百人一首_柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の鑑賞  人麻呂は、とても愛妻家だったそうです。この和歌は、現代の出張のような仕事で、家を離れなければならないときに詠んだものと考えられています。仕事先へ向かいながら、「あぁ、今日は奥さんと一緒に寝られないんだなぁ。寂しいなぁ。」と考えていたときの気持ちが和歌になったのでしょうか。あなたのお父さんもこんなことを考えながら、出張に出掛けてるかも知れませんね。お父さんが帰ってきたら、お母さんに会えて嬉しそうにしていませんか?お父さんが出張に出掛けたら、この和歌を思い出してみてくださいね。

小倉百人一首_作者柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)について  柿本人麻呂は、第2番の歌人である持統天皇(じとうてんのう)と同じくらいの時代に生きた下級官僚です。和歌を詠むのがとても上手だったので、天皇や皇族のために和歌を詠んだり、一緒に旅行へ出掛けたときには、和歌を詠んで、座を盛り上げました。『万葉集』には、450首以上もの作品が残されています。第4番の歌人である山部赤人(やまべのあかひと)と並んで「山柿(さんし)」と呼ばれ、歌聖として尊敬されています。

注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


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point-2喜撰法師(きせんほうし)

第8番
喜撰法師
(きせんほうし)

わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり

☆ わがいほは みやこのたつみ しかぞすむ よをうぢやまと ひとはいふなり
★ わがいおは みやこのたつみ しかぞすむ よをうじやまと ひとはいうなり

小倉百人一首_喜撰法師(きせんほうし) 小倉百人一首_喜撰法師(きせんほうし)の意味  私が住んでいるお坊さんの住む庵は、都である平安京のはるか離れた東南にあるものだから、おかげさまで心静かに住んでいるのですよ。なのに、皆さんは、私が人々とのお付き合いがわずらわしいと思って、そんなところに住んでいると言っているようですね。

小倉百人一首_喜撰法師(きせんほうし)の鑑賞  いまも昔も噂好きなひとがいたようですね。根も葉もない噂は気にしないでいられたら気持ちもラクなのだけど、あまりにも本心と違うことを言われたり、あることないことを言われたりすると、少しわずらわしく感じることはありませんか?喜撰法師もきっとそんな気持ちだったのでしょうね。

小倉百人一首_作者喜撰法師(きせんほうし)について  喜撰法師は、京都のお茶で有名な現在の宇治市に住んでいたお坊さんです。いまから1200年ほど前の平安時代の初めに生きたひとです。この第8番の歌ともう一首が伝わるのみで、まったく正体が不明です。貴族の子息だとか、天皇の出家した後のお名前だとかいわれていますが、詳しいことはわかっていません。第35番の歌人である紀貫之(きのつらゆき)が選んだ、六人の優れた歌人『六歌仙』のひとりにも選ばれています。

注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


point-3河原左大臣(かわらのさだいじん)

第14番
河原左大臣
(かわらのさだいじん)

みちのくの しのぶもぢずり たれゆゑに 乱れそめにし われならなくに


☆ みちのくの しのぶもぢずり たれゆゑに みだれそめにし われならなくに
★ みちのくの しのぶもじずり たれゆえに みだれそめにし われならなくに


小倉百人一首_河原左大臣(かわらのさだいじん) 小倉百人一首_河原左大臣(かわらのさだいじん)の意味 陸奥(みちのく)の信夫(しのぶ/現在の福島県信夫郡)で作られるという「しのぶもじ摺り」という乱れ染めの布の文様のように、わたしの心も乱れてしまったのです。だれのせいなのでしょうね。わたしはだれにも心を乱されたくはなかったのに。

小倉百人一首_河原左大臣(かわらのさだいじん)の鑑賞  好きな人のことを考えたり姿を見ただけで、ドキドキしたり何気ないひと言や行動がで一喜一憂したり・・・。そんな自分の気持ちがかき乱されて、平常心でいられないことをもどかしく思うことがあるでしょう。恋する相手がいることの幸せはもちろんだけど、自分の心が自分のものではないような状態。この和歌は、そんな気持ちを詠っているのでしょうね。

小倉百人一首_作者河原左大臣(かわらのさだいじん)について  河原左大臣は、本名を源融(みなもとのとおる)といいます。「河原」は「河原院(かわらのいん)」という平安京のなかにあった融の邸宅の名前です。とても豪華なお屋敷だったので、『源氏物語』のなかの光源氏(ひかるげんじ)の大邸宅「六条院(ろくじょういん)」のモデルとなったといわれています。「左大臣」は、大臣職の二番目です。「河原左大臣」は、「河原院に住んでいた左大臣」という意味です。融は、いまから1150年ほど前の平安時代の貴族です。嵯峨天皇(さがてんのう)の皇子でしたが、苗字をもらって皇族から離れました。血筋の高貴さに加え、才能と財力に恵まれた人物です。


注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


point-4光孝天皇(こうこうてんのう)

第15番
光孝天皇
(こうこうてんのう)

君がため 春の野にいでて 若菜つむ わが衣手に 雪はふりつつ


☆★ きみがため はるののにいでて わかなつむ わがころもでに ゆきはふりつつ


小倉百人一首_タイトル 小倉百人一首_タイトルの意味 あなたに差し上げようと、春の野に出て若菜を摘んでいるわたしの袖に、雪がしきりに降り続けていますよ。

小倉百人一首_タイトルの鑑賞  若菜とは薬草のことです。いまでも1月7日に七草粥を食べる習慣があるでしょう。皇子時代に詠まれた和歌と考えられますが、皇子ご自身が雪の降るなかを若菜を摘みにいかれたのではないでしょう。きっと、若菜に添えてどなたかに贈られた和歌なのでしょう。柔らかい新芽の優しい緑色が一面に広がるなか、真っ白い雪がちらちらと降っています。その景色のなか、烏帽子(えぼし/高貴な男性は、必ず烏帽子か冠を被っていました)の黒と新年らしい若々しい色合いの着物を着た皇子が若菜を摘んでいる様子は、美しい1枚の絵のようではありませんか?

小倉百人一首_作者タイトルについて  光孝天皇は、いまから1150年ほど前の天皇です。55歳で即位されるまで、一皇子として過ごされました。皇子としての生活は保障されていたものの、生活は大貴族などよりも豊かではなかったようで、即位の後もご自身で炊事をされた、との逸話も伝わっています。これは、本当に天皇がそうされたのではなく、皇子時代からのお人柄の優しさがこのようなエピソードを伝えさせたのでしょう。


注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


point-5後鳥羽院(ごとばいん)

第99番
後鳥羽院
(ごとばいん)

人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに もの思ふ身は


☆ ひともをし ひともうらめし あぢきなく よをおもふゆゑに ものおもふみは
★ ひともおし ひともうらめし あじきなく よをおもうゆえに ものをもうみは


小倉百人一首_タイトル 小倉百人一首_タイトルの意味 ひとを愛しくも思い、恨めしくも思うのです。思うとおりにならなくてつまらないと、世の中を思うから、いろいろと思い悩むのですよ。

小倉百人一首_タイトルの鑑賞  挙兵の9年前、33歳のときに詠まれた和歌です。幕府との関係が悪化し、プライド高く、帝王然としたお人柄だったと思われる院にとって、歯がゆく面白くないことが多かったのでしょう。人間への愛憎を素直に吐露された、院のスケールの大きさを感じさせる和歌ですね。

小倉百人一首_作者タイトルについて  後鳥羽院は、後鳥羽天皇(ごとばてんのう)という、いまから800年ほど前の天皇です。「院」とは位を退いた後の呼び名です。19歳で譲位した後は、24年間にわたり、天皇を後見する院政(いんせい)を行なって、権力を持っていました。鎌倉幕府との勢力争いから、幕府の権力者北条氏(ほうじょうし)を打倒しようとして挙兵しましたが、失敗し、隠岐(現在の島根県)に流され、60歳の生涯を閉じました。文芸に秀で、和歌も好まれました。

注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


point-6権中納言定家(ごんちゅうなごんていか)

第97番
権中納言定家
(ごんちゅうなごんていか)

こぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くやもしほの 身もこがれつつ


☆ こぬひとを まつほのうらの ゆふなぎに やくやもしほの みもこがれつつ
★ こぬひとを まつほのうらの ゆうなぎに やくやもしおの みもこがれつつ


小倉百人一首_タイトル 小倉百人一首_タイトルの意味 いつまでも来ないあなたを待つわたしは、あの松帆の浦(現在の淡路島の北端の岩屋海岸)で、夕方に海が凪いでいる頃に塩を作るために焼く藻塩のように、身を焼かれるように恋焦がれていることです。

小倉百人一首_タイトルの鑑賞  『万葉集』の「名寸隅(なきすみ)の 舟瀬ゆ見ゆる 淡路島 松帆の浦に 朝なぎに 玉藻刈りつつ 夕なぎに 藻塩焼きつつ 海人娘子 ありとは聞けど 見に行かむ よしのなければ ますらをの 心はなしに たわや女の 思ひたわみて たもとほり 我れはぞ恋ふる 舟楫(ふなかぢ)をなみ(松帆の浦で、朝は玉藻を刈り、夕方には藻塩を焼く乙女がいると聞いたので、ぜひ逢いたいのだが、わたしには舟も楫も無いので、ただうろうろと恋焦がれるばかりです)」という長歌を本歌としたものです。本歌から意味に奥行きをもたせ、言葉の技巧もこらした、定家ならではの成熟した美しい和歌ですね。

小倉百人一首_作者タイトルについて  権中納言定家は、本名を藤原定家(ふじわらのさだいえ)といいます。この「小倉百人一首」を選んだ歌人です。第83番の歌人である藤原俊成(ふじわらのしゅんぜい)は父親です。和歌を読むのが上手で、また和歌の研究にも熱心だったので、歌学者としても重んぜられました。

注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


point-7鎌倉右大臣(かまくらのうだいじん)

第93番
鎌倉右大臣
(かまくらのうだいじん)

世の中は つねにもがもな なぎさこぐ あまのをぶねの つなでかなしも

☆ よのなかは つねにもがもな なぎさこぐ あまのをぶねの つなでかなしも) ★ よのなかは つねにもがもな なぎさこぐ あまのおぶねの つなでかなしも


小倉百人一首_タイトル 小倉百人一首_タイトルの意味 この世が、ずっと変わらなければよいのになぁ。波打ち際を漕ぐ漁師の小舟が、引き綱を引いていく様子が、しみじみと心が動かされることです。

小倉百人一首_タイトルの鑑賞  『万葉集』の「河の上の ゆつ岩むらに 草むさず 常にもがもな 常処女にて(河のほとりの岩に苔が生えずいつまでも清らかなように、永遠の処女としてあって欲しいものです)」と、『古今集』の「みちのくは いづくはあれど 塩釜の 浦こぐ舟の 綱手かなしも(道の奥と呼ばれる東北地方は、どこも趣があるけれど、そのなかでも塩釜の浦を漕いでいく舟の綱手を引く様子は特に趣があるものだなぁ)」という二首の古歌を本歌取り(ほんかとり)しています。本歌のある和歌ですが、留まることをしらない世の中の変化への嘆きが、鎌倉の海辺に暮らす実朝によって、臨場感を持って詠みあげられています。

小倉百人一首_作者タイトルについて  鎌倉右大臣は、本名を源実朝(みなもとのさねとも)といいます。鎌倉幕府の第三代将軍です。鎌倉(現在の神奈川県鎌倉市)にいましたが、京都の文化に憧れ、この「小倉百人一首」を選んだ藤原定家(ふじわらのていか)に和歌を学びました。将軍職とともに、大臣の三番目の地位である右大臣にも任ぜられましたが、28歳の若さで、甥の公暁(くぎょう)に殺されました。


注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


point-8後京極摂政前太政大臣(ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじん)

第91番
後京極摂政前太政大臣
(ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじん)

きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む

☆ きりぎりす なくやしもよの さむしろに ころもかたしき ひとりかもねむ
★ きりぎりす なくやしもよの さむしろに ころもかたしき ひとりかもねん


小倉百人一首_タイトル 小倉百人一首_タイトルの意味 こおろぎ(きりぎりすはこおろぎの古名)がしきりに鳴いている、この霜の降りた寒い夜のなか、寒々とした筵(むしろ)に、衣を着たまま片袖だけ敷いて、わたしはひとり寂しく寝るんだなぁ。

小倉百人一首_タイトルの鑑賞  時の最高位にある良経が、筵のうえで寝るということはないので、これは古歌を受けて詠まれた和歌です。本歌は、『伊勢物語』の「さむしろに 衣かたしき 今宵もや 恋しき人に あはでのみ寝む(寒々とした筵に、衣を着たまま片袖を敷いて、今夜もまた恋しいあなたに逢わないで寝るのだなぁ)」と、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の第3番、「あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む(山鳥の長く垂れ下がっている尾のように長い長い夜を愛するひとと離ればなれになって、ひとり寂しく寝るのだろうなぁ)」の二首です。良経の和歌の教養の深さと、体験していない世界を詠む想像力の深さは、現代に生きるわたしたちも見習いたいところです。

小倉百人一首_作者タイトルについて  後京極摂政前太政大臣は、本名を藤原良経(ふじわらのよしつね)といいます。いまから800年ほど前の貴族です。五代前の藤原師実(ふじわらのもろざね)も京極殿と呼ばれましたので、区別をするために後京極殿と呼ばれています。土御門天皇(つちみかどてんのう)を補佐する摂政に、そして大臣の最高位である太政大臣にまでのぼりましうたが、38歳で亡くなりました。この『小倉百人一首』を選んだ藤原定家(ふじわらのていか)は良経の家である九条家(くじょうけ)の仕える家司(けいし)でした。また、定家の父で、第83番の歌人である藤原俊成(ふじわらのしゅんぜい)は、良経の和歌の師でした。


注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


point-9皇嘉吉門院別当(こうかもんいんのべっとう)

第88番
皇嘉吉門院別当
(こうかもんいんのべっとう)

難波江の 葦のかりねの ひとよゆゑ みをつくしてや 恋ひわたるべき


☆ なにはえの あしのかりねの ひとよゆゑ みをつくしてや こひわたるべき
★ なにわえの あしのかりねの ひとよゆえ みをつくしてや こいわたるべき


小倉百人一首_タイトル 小倉百人一首_タイトルの意味 たった一晩の出会いで、恋に落ちてしまい、恋の悩みに苦しむことになってしまった歌人のせつない心が詠われています。

小倉百人一首_タイトルの鑑賞  難波の入江(現在の大阪市の海辺)の刈られた葦の刈り根のひと節のような、短い旅の仮寝の一夜の出会いのために、難波江にぽつぽつとみえる航路を示す杭である「澪標(みおつくし)」のことばのように、この身をつくし命をかけてあなたを恋いつづけなければならないのでしょうか。

小倉百人一首_作者タイトルについて  皇嘉門院別当は、いまから850年ほど前の宮廷女官です。崇徳天皇(すとくてんのう)の皇后である皇嘉門院藤原聖子(こうかもんいんふじわらのせいし/きよこ)に仕えました。太皇太后宮亮源俊隆(たいこうたいごうぐうのすけみなもとのとしたか)の娘と伝わるのみで、その生涯は詳しくわかっていません。


注1)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。

注2)女性は、本名すら伝わることも稀なので、正確な読み方もわからない場合が多いです。混乱を避けるため、女性の名前は一般的に音読みされます。訓読みが浸透している女性のみ訓読みも記すことにします。


point-10皇太后宮大夫俊成(こうごうぐうだいぶしゅんぜい)

第83番
皇太后宮大夫俊成
(こうごうぐうだいぶしゅんぜい)

世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる


☆ よのなかよ みちこそなけれ おもひいる やまのおくにも しかぞなくなる
★ よのなかよ みちこそなけれ おもいいる やまのおくにも しかぞなくなる


小倉百人一首_タイトル 小倉百人一首_タイトルの意味 世の中には、つらさから逃げる方法は無いのだなぁ。強く決心をして、深い山に入ったのに、こんな山奥でも、やはりつらいことがあるのだろうか、鹿が哀しそうに鳴いているなぁ。

小倉百人一首_タイトルの鑑賞  俊成が27歳のときに詠んだ和歌です。俊成が生きた時代は、武士を巻き込んだ権力争いが多くなった時代でした。いままでの秩序が乱れ始め、貴族の力が弱まり、平家が台頭してきた頃です。そんな時代のなか、一中流貴族の俊成は、何もできず、歯がゆい思いをしていたのでしょう。いっそ出家をしてしまおう、と思いつめたこともあったのでしょう。そんな俊成の寂しさ、諦めといった気持ちが、ひしひしと伝わるようではありませんか?

小倉百人一首_作者について  皇太后宮大夫俊成は、本名を藤原俊成(ふじわらのとしなり、俗に「しゅんぜい」と音読されます)といいます。皇太后宮大夫は職名で、皇太后宮をお世話する役所の長官です。この『小倉百人一首』を選んだ藤原定家(ふじわらのていか)の父にあたります。第89番の歌人である式子内親王(しょくしないしんのう)の和歌の師となるなど、当時の歌壇の第一人者でした。


注1)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。

注2)女性は、本名すら伝わることも稀なので、正確な読み方もわからない場合が多いです。混乱を避けるため、女性の名前は一般的に音読みされます。訓読みが浸透している女性のみ訓読みも記すことにします。


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