ポイント解説さ行(26首)

point-1持統天皇(じとうてんのう)

第2番
持統天皇
(じとうてんのう)

春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山

☆ はるすぎて なつきにけらし しろたへの ころもほすてふ あまのかぐやま
★ はるすぎて なつきにけらし しろたえの ころもほすちょう あまのかぐやま


小倉百人一首_持統天皇(じとうてんのう) 小倉百人一首_持統天皇(じとうてんのう)の意味 もう春が過ぎて、夏が来たようね。夏になると白い衣服を乾すと聞いている天の香具山に白い衣服が干してあるわ。

小倉百人一首_持統天皇(じとうてんのう)の鑑賞 初夏の緑あふれる山に、真っ白な衣服がひるがえっている様子が目に浮かびませんか?持統天皇は、宮殿で執務をされていたのでしょうか。ふと気分転換に外を眺めていると、「あら?衣が乾してあるわ。もう夏なのね」と思われたのかもしれません。天の香具山とは、現在の奈良県橿原市にある山です。耳成山(みみなしやま)・畝傍山(うねびやま)とあわせて3つの山がちょうど三角形を描くように並んでいて、飛鳥の昔から、親しまれてきました。この三角形の真ん中に、持統天皇は都を置かれていましたので、ちょうど山がよく見えたのかもしれませんね。この和歌は、『万葉集(まんようしゅう)』では「春すぎて 夏来たるらし 白妙の 衣ほしたり 天の香具山」と、少し言葉が違っています。

小倉百人一首_作者持統天皇(じとうてんのう)について 持統天皇は、第1番の歌人である天智天皇(てんじてんのう)の娘です。天智天皇の弟の天武天皇(てんむてんのう)に嫁して皇后となりました。天武天皇との間に儲けた皇子が若くして亡くなってしまったため、その王子(持統天皇には孫にあたります)が成人して即位できるまで、女帝として即位しました。いまから1300年以上も前のことです。

注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


スポンサードリンク

point-2猿丸大夫(さるまるだゆう)

第5番
猿丸大夫
(さるまるだゆう)

奥山に もみぢふみわけ なく鹿の 声きくときぞ 秋はかなしき

☆ おくやまに もみぢふみわけ なくしかの こゑきくときぞ あきはかなしき
★ おくやまに もみじふみわけ なくしかの こえきくときぞ あきはかなしき


小倉百人一首_猿丸大夫(さるまるだゆう) 小倉百人一首_猿丸大夫(さるまるだゆう)の意味  人里離れた山の奥深くで、散って敷きつめられたような紅葉を踏みながら鳴いている鹿の声を聞いたときこそ、秋がひときわもの寂しく感じられるものだなぁ。

小倉百人一首_猿丸大夫(さるまるだゆう)の鑑賞  秋も深まり、山は紅葉の葉もだいぶ落ちました。葉が落ちたことによって、木々の黒っぽい幹や枝が見え、地面は赤や黄色に埋め尽くされています。そんな静かな秋のある一日に、カサッカサッと音がするなか、鹿の鳴く声が、「ケーン」、「ケーン」と澄み渡った空気のなかに、響いてきます。そんな景色が目に浮かぶような和歌です。猿丸大夫は、奥山に入っていたのでしょうか?ひとりで散策をしていたのかもしれませんし、多くの同僚とともに景色を愛でながら管弦の宴に参加していたのかもしれません。ひとりでいるときよりも大勢のなかにいるときの方が、より寂しさを感じることがあると思いますが、猿丸大夫も、ふとそんな気持ちになったのかもしれませんね。

小倉百人一首_作者猿丸大夫(さるまるだゆう)について  猿丸大夫は、その来歴がまったく記録に残っていない、謎の歌人です。猿丸は名前、大夫とは神職のひとつで、特に神楽や奉納舞のような芸能で神様にお仕えする職業なのですが、あまりにも正体不明なので、政変で敗れた皇子の世を忍ぶ名前だとか、没落した皇族や有力政治家だった人物が名前を出せないでいる、などと憶測されてきました。

注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


point-3蝉丸(せみまる)

第10番
蝉丸
(せみまる)

これやこの 行くも帰るも わかれては 知るも知らぬも あふ坂の関

☆ これやこの ゆくもかへるも わかれては しるもしらぬも あふさかのせき
★ これやこの いくもかえるも わかれては しるもしらぬも おおさかのせき


小倉百人一首_蝉丸(せみまる) 小倉百人一首_蝉丸(せみまる)の意味  これはまぁまぁ、京の都からはるか東国へ行く人も、東国から都へ帰ってくる人も、ここで別れては出会い、知り合いの人も、まったくお互いを知らない人も、会っては別れていることだ。その名前のとおり「あふさか」(会う坂=逢坂)の関だなぁ。

小倉百人一首_蝉丸(せみまる)の鑑賞  逢坂の関は、京都の周囲に三箇所あった関所のうちのひとつで、現在の京都府と滋賀県の間あたりにありました。蝉丸は、この関所の近くに住んで、人々が往来する様子を眺めていたのでしょうか。それとも、蝉丸自身も関所を行き交ったのでしょうか。蝉丸は、関所の往来になぞらえて、人間の出会いと別れをも詠っているようです。皆さんも、小さい頃、仲良く遊んだお友達となんとなく疎遠になったり、幼稚園や小学校が違って、会わなくなったお友達がいるでしょう。生きていれば、たくさんの新しい出会いがありますが、また多くの別れもあります。皆さんもいまそばにいるお友達や、そして家族を大事に思って、生きてくださいね。

小倉百人一首_作者蝉丸(せみまる)について  蝉丸は、いまから1100年ほど前のひとです。詳しい来歴は伝わっていません。宇多天皇(うだてんのう)の皇子敦実親王(あつざねしんのう)の家来とも、醍醐天皇(だいごてんのう)の皇子ともいわれています。また、琵琶の名人だったそうで、盲目の琵琶法師だったとも、逢坂関(おうさかのせき)の関所にいた乞食ともいわれています。『小倉百人一首』の絵札では、琵琶を持ち、絵によってはお坊さんのようにも見えるので、坊主めくりでは、蝉丸ルールというローカルルールがある地方もあります。

注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


point-4僧正遍昭(そうじょうへんじょう)

第12番
僧正遍昭
(そうじょうへんじょう)

天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ


☆ あまつかぜ くものかよひぢ ふきとぢよ をとめのすがた しばしとどめむ
★ あまつかぜ くものかよいじ ふきとじよ おとめのすがた しばしとどめん


小倉百人一首_僧正遍昭(そうじょうへんじょう) 小倉百人一首_僧正遍昭(そうじょうへんじょう)の意味 空を吹く風よ。天女が還るという雲の道を吹き閉ざしておくれ。天女のように美しい舞姫の姿をもう少しこの地上に留めておきたいのだよ。

小倉百人一首_僧正遍昭(そうじょうへんじょう)の鑑賞  宮中の儀式のひとつ、「五節の舞姫(ごせちのまいひめ)」を詠った和歌です。陰暦11月(現在の10月ごろ)に行なわれる「豊明節会(とよあかりのせちえ)」のなかで、五人の舞姫が舞を舞うものがありました。舞姫は天女の衣装を着て舞ったそうです。色とりどりの衣装をひらめかせ、優美に舞う舞姫の姿を目の前にして、遍昭も「綺麗だなぁ」と眺めていたに違いありません。お坊さんなのに、綺麗な女の人を和歌に詠むなんて、遍昭は、なかなか自由な人だったようですね。

小倉百人一首_作者タイトルについて  僧正遍昭は、本名を良岑宗貞(よしみねのむねさだ)といいます。いまから1200年ほど前の貴族で僧侶です。京都に都を移し、平安京を造った桓武天皇(かんむてんのう)の孫にあたります。従兄弟にあたる仁明天皇(にんみょうてんのう)にお仕えしていましたが、天皇が亡くなられたとき、35歳で出家してからは、遍昭と名乗り、その血筋と仏教の普及に努めたことから、僧正という高い地位になりました。第35番の歌人である紀貫之(きのつらゆき)が選んだ、六人の優れた歌人『六歌仙』のひとりにも選ばれています。第21番の歌人である素性法師(そせいほうし)は息子です。


注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


point-5順徳院(じゅんとくいん)

第100番
順徳院
(じゅんとくいん)

ももしきや ふるき軒ばの しのぶにも なほあまりある 昔なりけり


☆ ももしきや ふるきのきばの しのぶにも なほあまりある むかしなりけり
★ ももしきや ふるきのきばの しのぶにも なおあまりある むかしなりけり


小倉百人一首_タイトル 小倉百人一首_タイトルの意味 荒れ果てた御所の、古い軒端に生えるしのぶ草のシダの葉を見るにつけて、昔の御所の華やかさ、栄えていたことが、しみじみと偲ばれて、偲んでも偲んでも、まだ偲びきれません。昔の天皇を中心に秩序ただしく治められていた御代のことは。

小倉百人一首_タイトルの鑑賞  天皇を中心として、栄えていた過去を懐かしくも羨ましく思われている気持ちがひしひしと伝わる和歌ですね。武士が台頭し、天皇を中心とした貴族は形ばかりの権威を残して、財政的にも苦しい状況になりました。院の静かな詠みぶりに、さらに哀しさが伝わってはきませんか?


小倉百人一首_作者タイトルについて  順徳院は、いまから800年ほど前の天皇です。第99番の歌人である後鳥羽院(ごとばいん)の第三皇子にあたります。後鳥羽院と鎌倉幕府との争いから、25歳で譲位されました。「院」とは位を退いた後の呼び名です。佐渡ヶ島(現在の新潟県)へ流され、46歳で、その生涯を終えられました。この『小倉百人一首』を選んだ藤原定家(ふじわらのていか)に学ばれ、和歌を愛されました。

注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


point-6従二位家隆(じゅにいいえたか)

第98番
従二位家隆
(じゅにいいえたか)

風そよぐ ならの小川の 夕ぐれは みそぎぞ夏の しるしなりける


☆ かぜそよぐ ならのおがわの ゆふぐれは みそぎぞなつの しるしなりける
★ かぜそよぐ ならのおがわの ゆうぐれは みそぎぞなつの しるしなりける


小倉百人一首_タイトル 小倉百人一首_タイトルの意味 風がそよそよと、楢(なら)の葉に吹きそよぐ、楢の小川(上賀茂神社の前を流れる参拝人が手口を清める御手洗川(みたらしがわ)。現在の京都市にある)の夕暮れは、もう秋のような気配だけれど、ただ、夏越の祓(なごしのはらえ)のために行なわれている禊(みそぎ)が、いまは夏なのだ、というしるしなんだなぁ。

小倉百人一首_タイトルの鑑賞  夏越の祓とは、旧暦の6月末に行なわれる神事です。旧暦の6月は現在の7月にあたりますから、ちょうど梅雨も明け、湿度が高く暑い季節です。疫病や病害虫が発生しやすい時期なので、人々の罪や穢れを神さまに祓って、清らかにしていただいたのです。禊とは、神事にかかる前に、水で身を清めることです。いまでも、神社へお参りをするときに、お手水(ちょうず)で、手を洗ったり、口をゆすいだりするでしょう?それは、現在に残る禊の名残です。この和歌は、夏の夕暮れ、少し秋の気配も感じられるようななか、しめやかに禊の儀式が行なわれている様子を詠ったものです。
 『古今六帖』の「みそぎする ならの小川の 川風に いのりぞわたる 下に絶えじと(禊を行なう楢の小川の川風に吹かれながら祈っています。わたしたちの恋が密かに続きますように、と)」と、『後拾遺和歌集』の「夏山の楢の葉そよぐ夕ぐれは今年も秋の心地こそすれ(夏山のなか、楢の葉がそよぐ夕暮れは、今年も秋が来たような気がするなぁ)」の二首を踏まえた本歌取り(ほんかとり)しています。

小倉百人一首_作者タイトルについて従二位家隆は、本名を藤原家隆(ふじわらのいえたか)といいます。第83番の歌人である藤原俊成(ふじわらのしゅんぜい)に和歌を学び、この「小倉百人一首」を選んだ藤原定家(ふじわらのていか)と並び称されるほどの歌人でした。

注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


point-7前大僧正慈円(さきのだいそうじょうじえん)

第95番
前大僧正慈円
(さきのだいそうじょうじえん)

おほけなく うき世の民に おほふかな わがたつ杣に 墨染の袖


☆ おほけなく うきよのたみに おほふかな わがたつそまに すみぞめのそで
★ おおけなく うきよのたみに おおうかな わがたつそまに すみぞめのそで


小倉百人一首_タイトル 小倉百人一首_タイトルの意味 我が身には過ぎたことだとは思いますが、この世の中の人々の幸せを祈りながら、この法衣の袖を人々に掛けましょう。この比叡山で僧侶となり、法衣に袖を通すことになったわたしなのですから。

小倉百人一首_タイトルの鑑賞  慈円は、11歳のときから比叡山延暦寺の最高位である座主(ざす)覚快法親王(かくかいほっしんのう)の弟子となりました。そして、晴れて13歳で出家、その後も比叡山で研鑽を積み、38歳のときに、はじめて座主となり、その生涯で4度の座主を務めた延暦寺とは深い関係のあるお坊さんです。この和歌を慈円が何歳のときに詠んだのかはわかりませんが、僧侶としての心得と、仏教の最高峰である比叡山に在籍をしているという自負が、緊張感をもって伝わってきます。きっと、若き日の慈円の和歌なのでしょう。

小倉百人一首_作者タイトルについて  前大僧正慈円は、いまから800年ほど前のお坊さんです。第76番の歌人である藤原忠通(ふじわらのただみち)の息子で、第91番の歌人である藤原良経(ふじわらのよしつね)の叔父にあたります。天皇の補佐をする摂政・関白や最高位である太政大臣を多く出した名家の出身です。13歳で出家しました。大僧正は、僧侶の最高位です。僧侶として尊敬を集めながら、和歌を詠むのも上手でした。

注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


point-8参議雅経(さんぎまさつね)

第94番
参議雅経
(さんぎまさつね)

み吉野の 山の秋風 さ夜ふけて ふるさと寒く 衣うつなり


☆★ みよしのの やまのあきかぜ さよふけて ふるさとさむく ころもうつなり


小倉百人一首_タイトル 小倉百人一首_タイトルの意味 吉野(現在の奈良県南部。古来より天皇の離宮が営まれ、多くの天皇が旅をした地です)の山から秋風が吹き降ろすなか、夜更けの吉野の古都の里では、衣を柔らかくするために打つ砧(きぬた)の音が、寒々としたなか聴こえてくるようです。

小倉百人一首_タイトルの鑑賞  「み吉野の 山の白雪 つもるらし ふるさと寒く なりまさるなり(吉野山に白雪が積もったようです。古都の里はますます寒くなるようです)」という『古今集』の和歌を踏まえて(本歌取り/ほんかとり)います。寒々とした山里に、ひときわ響く砧の音が、より静かさと寒さを助長させるような和歌ですね。

小倉百人一首_作者タイトルについて  参議雅経は、本名を飛鳥井雅経(あすかいまさつね)といいます。いまから800年ほど前の中流貴族です。父親の難波頼経(なんばよりつね)が、源義経(みなもとのよしつね)と親しかったため、義経が追討されると、頼経・雅経親子も鎌倉へ護送されました。しかし、和歌や蹴鞠の上手だった雅経は将軍源頼朝(みなもとのよりとも)に重用され、鎌倉幕府の重臣である大江広元(おおえのひろもと)の娘を妻に迎えました。28歳のとき、罪を赦され、京都に帰った後は、京都御所と鎌倉幕府の連絡係として活躍しました。

注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


point-9式子内親王(しょくしないしんのう)

第89番
式子内親王
(しょくしないしんのう)

玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば しのぶることの 弱りもぞする


☆ たまのおよ たえなばたえね ながらへば しのぶることの よわりもぞする
★ たまのおよ たえなばたえね ながらえば しのぶることの よわりもぞする


小倉百人一首_タイトル 小倉百人一首_タイトルの意味 いのちよ。絶えてしまうのなら、はやく絶えてしまっておくれ。このまま生きていたら、耐えて忍んでいる心が弱ってしまって、わたしの恋心が知られてしまうのですよ。

小倉百人一首_タイトルの鑑賞  優雅な生活を送る、その心の奥底にひっそりと秘められた激しい恋心に、息が詰まるような和歌ですね。伝えられない恋心を持つということは、どんなにか切ないことでしょう。みなさんの恋愛が、明るく楽しいものであることを祈っていますが、もし、人には言えない想いを抱えたときには、この和歌がきっとあなたの慰めになるでしょう。

小倉百人一首_作者タイトルについて  式子内親王は、後白河天皇(ごしらかわてんのう)の第三皇女です。11歳のときに賀茂神社に仕える賀茂斎院(かものさいいん)に任ぜられましたが、21歳のとき、病のため退下されました。この『小倉百人一首』を選んだ藤原定家(ふじわらのていか)は、内親王家にお仕えする家司(けいし)でした。また、定家の父で、第83番の歌人である藤原俊成(ふじわらのしゅんぜい)に和歌を学びました。定家は、和歌を詠むのがとても上手で、当時を代表する女流歌人です。


注1)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。

注2)女性は、本名すら伝わることも稀なので、正確な読み方もわからない場合が多いです。混乱を避けるため、女性の名前は一般的に音読みされます。訓読みが浸透している女性のみ訓読みも記すことにします。


point-10寂蓮法師(じゃくれんほうし)

第87番
寂蓮法師
(じゃくれんほうし)

むらさめの 露のもまだひぬ まきの葉に 霧たちのぼる 秋の夕ぐれ


☆ むらさめの つゆもまだひぬ まきのはに きりたちのぼる あきのゆふぐれ
★ むらさめの つゆもまだひぬ まきのはに きりたちのぼる あきのゆうぐれ


小倉百人一首_タイトル 小倉百人一首_タイトルの意味 にわか雨のしずくもまだ乾ききらない美しい木の葉のあたりに、霧がほのかにたちのぼっている、もの寂しい秋の夕暮れですよ。

小倉百人一首_タイトルの鑑賞  雨があがった後の、清浄な山の空気が香るような和歌ですね。真木とは美しい立派な木という意味です。多くは檜(ひのき)を示すようです。静かな秋の夕暮れの一風景ですね。

小倉百人一首_作者タイトルについて  寂蓮法師は、本名を藤原定長(ふじわらのさだなが)といいます。この『小倉百人一首』を選んだ藤原定家(ふじわらのていか)の父方の叔父である阿闍梨俊海(あじゃりしゅんかい)の息子なので、定家の従兄弟にあたります。幼い頃に、定家の父で、第83番の歌人である藤原俊成(ふじわらのしゅんぜい)の養子になりました。しかし、俊成に定家の兄や定家が生まれたため、30代なかばで出家しました。


注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


TOPPAGE  TOP