ポイント解説や行(3首)

point-1山部赤人(やまべのあかひと)

第4番
山部赤人
(やまべのあかひと)

田子の浦に うちいでてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ

☆ たごのうらに うちいでてみれば しろたへの ふじのたかねに ゆきはふりつつ
★ たごのうらに うちいでてみれば しろたえの ふじのたかねに ゆきはふりつつ


小倉百人一首_山部赤人(やまべのあかひと) 小倉百人一首_山部赤人(やまべのあかひと)の意味  田子の浦(現在の静岡県の海浜)に出てみて、はるか遠くを眺めてみると、富士の高い高い峰に、それは真っ白な雪が降りつもっているなぁ。

小倉百人一首_山部赤人(やまべのあかひと)の鑑賞  都の奈良から、遠く静岡まで旅をしてきた赤人は、見晴らしのよい田子の浦に出てみました。すると、真っ白い雪を降らせた富士山が、それはそれは美しく見えたのでしょう。その景色の美しさに感動した赤人が思わず詠んだ和歌なのではないでしょうか。この和歌は、『万葉集』では「田子の浦ゆ うちいでてみれば 真白にぞ ふじの高嶺に雪は降りける」とあります。『万葉集』の方が力強くはっきりした感じですね。赤人は「すっごく真白だぞ。」と詠んだのかも知れませんが、百人一首の時代には、「白妙の」と優美な感じが好まれて、変化したのでしょう。

小倉百人一首_作者山部赤人(やまべのあかひと)について  山部赤人は、第2番の歌人である持統天皇(じとうてんのう)・第3番の歌人である柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)と同じくらいの時代に生きた官僚です。人麻呂と同じように和歌を詠む才能を愛され、天皇や皇族たちと旅行に出掛けることも多くありました。人麻呂と並んで「山柿(さんし)」とよばれ歌聖として尊敬されています。

注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


スポンサードリンク

point-2陽成院(ようぜいいん)

第13番
陽成院
(ようぜいいん)

つくばねの 峰よりおつる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる


☆ つくばねの みねよりおつる みなのかは こひぞつもりて ふちとなりぬる
★ つくばねの みねよりおつる みなのかわ こいぞつもりて ふちとなりぬる


小倉百人一首_陽成院(ようぜいいん) 小倉百人一首_陽成院(ようぜいいん)の意味 茨城県にある筑波山の峰から流れ落ちる川には、「みな」(タニシのような小さい貝類のこと)が住むような泥が積もって深い淵(水が深くて澱んでいるところ)ができているでしょう。わたしのあなたを恋しく思う気持ちも、積もり積もって深い深い淵をつくってしまいましたよ。

小倉百人一首_陽成院(ようぜいいん)の鑑賞  妃のひとりである綏子内親王(すいし/やすこないしんのう)へ贈った和歌です。山から滲み出した水が集まり、誰に知られることなく清流となって流れていく。そして、その流れもやがて深い深い泥をも積もらせていく・・・。そんな川の流れに自分の恋心をたとえています。恋が叶うまでの気持ちを切なく詠った和歌として、古くから親しまれてきました。

小倉百人一首_作者タイトルについて  陽成院は、陽成天皇(ようぜいてんのう)という、いまから1100年ほど前の天皇です。「院」とは、位を退いた後の呼び名です。17歳のときに病のために天皇位を降り、82歳で亡くなりました。


注1)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。

注2)女性は、本名すら伝わることも稀なので、正確な読み方もわからない場合が多いです。混乱を避けるため、女性の名前は一般的に音読みされます。訓読みが浸透している女性のみ訓読みも記すことにします。


point-3祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけのきい)

第72番
祐子内親王家紀伊
(ゆうしないしんのうけのきい)

音にきく 高師の浜の あだ波は かけじや袖の ぬれもこそすれ


☆★ おとにきく たかしのはまの あだなみは かけじやそでの ぬれもこそすれ


小倉百人一首_タイトル 小倉百人一首_タイトルの意味 噂に名高い高師の浜(現在の大阪府高石市にある浜)の大げさに騒々しく立つ波のように、浮気と名高いあなたに気をつけないと、波で袖が濡れるように、涙で袖を濡らすことになってしまいそうで困りますわ。

小倉百人一首_タイトルの鑑賞  歌合(うたあわせ)で、藤原俊忠(ふじわらのとしただ)が詠んだ「人知れぬ 思ひありその 浦風に 波のよるこそ いかまほしけれ」の返歌です。俊忠が、「人知れず思っていることがあるのですよ。有磯海(ありそのうみ/現在の富山湾のこと)の激しい浦風に波が寄せるように、激しい恋心を抱いているのです。夜にあなたを訪れて、この恋心を告げたいものです。」歌合なので、お互い本気ではないと思いますが、この和歌がやりとりされたとき、伊勢は70歳くらい、俊忠は29歳だったそうです。年齢に関係なく、こんなウィットに飛んだやりとりができるなんて素敵ですね。

小倉百人一首_作者タイトルについて  祐子内親王は、後朱雀天皇(ごすざくてんのう)の皇女です。紀伊は、この内親王にお仕えしていた侍女です。その生涯は詳しくわかっておらず、紀伊という呼び名は、紀伊守だった藤原重経(ふじわらのしげつね)が兄だったから、とも夫だったから、ともいわれています。


注1)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。

注2)女性は、本名すら伝わることも稀なので、正確な読み方もわからない場合が多いです。混乱を避けるため、女性の名前は一般的に音読みされます。訓読みが浸透している女性のみ訓読みも記すことにします。


TOPPAGE  TOP