ポイント解説1番~10番

point-1天智天皇(てんじてんのう)

第1番
天智天皇
(てんじてんのう)

秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ

☆ あきのたの かりほのいほの とまをあらみ わがころもでは つゆにぬれつつ
★ あきのたの かりおのいおの とまをあらみ わがころもでは つゆにぬれつつ


小倉百人一首_天智天皇(てんじてんのう) 小倉百人一首_天智天皇(てんじてんのう)意味  秋の田んぼのそばにある小屋は、田んぼの番をするために仮に建てられたものだから、苫(屋根の編み目のこと)が荒くて、すきまだらけ。わたしの衣の袖が、夜露にぬれてしまっているよ。

小倉百人一首_天智天皇(てんじてんのう)鑑賞  農民の生活が浮かんできませんか?天智天皇が詠んだものではなく、農民の民謡のようなものが時代を経て、天智天皇の作と伝わるようになったといわれています。なぜ、天智天皇の作とされるようになったのか、その理由はなぜなのかわかりますか?答えはひとつではありませんが、農民の生活に思いを至らせられるくらい天智天皇が偉大で思いやりが深い天皇であったと考えられていたか、または、そういう人物であって欲しいというひとびとの思いがあったのかも知れませんね。

小倉百人一首_天智天皇(てんじてんのう)作者について  栄えある第1番に選ばれたのは、「大化の改新(たいかのかいしん)」で有名な天智天皇です。いまから1400年前の飛鳥時代に起こった「大化の改新」は、まだ中大兄皇子(なかのおおえのみこ)と呼ばれていた天智天皇が、藤原氏の祖である中臣鎌足(なかとみのかまたり)と協力して、巨大勢力となった豪族蘇我氏を倒し、天皇中心の政権をつくろうとしたものです。その行動はやがて実を結び、即位した天智天皇は日本の国家の礎を築きました。

注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


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point-2持統天皇(じとうてんのう)

第2番
持統天皇
(じとうてんのう)

春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山

☆ はるすぎて なつきにけらし しろたへの ころもほすてふ あまのかぐやま
★ はるすぎて なつきにけらし しろたえの ころもほすちょう あまのかぐやま


小倉百人一首_持統天皇(じとうてんのう) 小倉百人一首_持統天皇(じとうてんのう)の意味 もう春が過ぎて、夏が来たようね。夏になると白い衣服を乾すと聞いている天の香具山に白い衣服が干してあるわ。

小倉百人一首_持統天皇(じとうてんのう)の鑑賞 初夏の緑あふれる山に、真っ白な衣服がひるがえっている様子が目に浮かびませんか?持統天皇は、宮殿で執務をされていたのでしょうか。ふと気分転換に外を眺めていると、「あら?衣が乾してあるわ。もう夏なのね」と思われたのかもしれません。天の香具山とは、現在の奈良県橿原市にある山です。耳成山(みみなしやま)・畝傍山(うねびやま)とあわせて3つの山がちょうど三角形を描くように並んでいて、飛鳥の昔から、親しまれてきました。この三角形の真ん中に、持統天皇は都を置かれていましたので、ちょうど山がよく見えたのかもしれませんね。この和歌は、『万葉集(まんようしゅう)』では「春すぎて 夏来たるらし 白妙の 衣ほしたり 天の香具山」と、少し言葉が違っています。

小倉百人一首_作者持統天皇(じとうてんのう)について 持統天皇は、第1番の歌人である天智天皇(てんじてんのう)の娘です。天智天皇の弟の天武天皇(てんむてんのう)に嫁して皇后となりました。天武天皇との間に儲けた皇子が若くして亡くなってしまったため、その王子(持統天皇には孫にあたります)が成人して即位できるまで、女帝として即位しました。いまから1300年以上も前のことです。

注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


point-3柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)

第3番
柿本人麻呂
(かきのもとのひとまろ)

あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む

☆ あしびきの やまどりのをの しだりをの ながながしよを ひとりかもねむ
★ あしびきの やまどりのおの しだりおの ながながしよを ひとりかもねん

小倉百人一首_柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ) 小倉百人一首_柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の意味  山鳥の長く垂れ下がっている尾のように長い長い夜を愛するひとと離ればなれになって、ひとり寂しく寝るのだろうなぁ。

小倉百人一首_柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の鑑賞  人麻呂は、とても愛妻家だったそうです。この和歌は、現代の出張のような仕事で、家を離れなければならないときに詠んだものと考えられています。仕事先へ向かいながら、「あぁ、今日は奥さんと一緒に寝られないんだなぁ。寂しいなぁ。」と考えていたときの気持ちが和歌になったのでしょうか。あなたのお父さんもこんなことを考えながら、出張に出掛けてるかも知れませんね。お父さんが帰ってきたら、お母さんに会えて嬉しそうにしていませんか?お父さんが出張に出掛けたら、この和歌を思い出してみてくださいね。

小倉百人一首_作者柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)について  柿本人麻呂は、第2番の歌人である持統天皇(じとうてんのう)と同じくらいの時代に生きた下級官僚です。和歌を詠むのがとても上手だったので、天皇や皇族のために和歌を詠んだり、一緒に旅行へ出掛けたときには、和歌を詠んで、座を盛り上げました。『万葉集』には、450首以上もの作品が残されています。第4番の歌人である山部赤人(やまべのあかひと)と並んで「山柿(さんし)」と呼ばれ、歌聖として尊敬されています。

注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


point-4山部赤人(やまべのあかひと)

第4番
山部赤人
(やまべのあかひと)

田子の浦に うちいでてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ

☆ たごのうらに うちいでてみれば しろたへの ふじのたかねに ゆきはふりつつ
★ たごのうらに うちいでてみれば しろたえの ふじのたかねに ゆきはふりつつ


小倉百人一首_山部赤人(やまべのあかひと) 小倉百人一首_山部赤人(やまべのあかひと)の意味  田子の浦(現在の静岡県の海浜)に出てみて、はるか遠くを眺めてみると、富士の高い高い峰に、それは真っ白な雪が降りつもっているなぁ。

小倉百人一首_山部赤人(やまべのあかひと)の鑑賞  都の奈良から、遠く静岡まで旅をしてきた赤人は、見晴らしのよい田子の浦に出てみました。すると、真っ白い雪を降らせた富士山が、それはそれは美しく見えたのでしょう。その景色の美しさに感動した赤人が思わず詠んだ和歌なのではないでしょうか。この和歌は、『万葉集』では「田子の浦ゆ うちいでてみれば 真白にぞ ふじの高嶺に雪は降りける」とあります。『万葉集』の方が力強くはっきりした感じですね。赤人は「すっごく真白だぞ。」と詠んだのかも知れませんが、百人一首の時代には、「白妙の」と優美な感じが好まれて、変化したのでしょう。

小倉百人一首_作者山部赤人(やまべのあかひと)について  山部赤人は、第2番の歌人である持統天皇(じとうてんのう)・第3番の歌人である柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)と同じくらいの時代に生きた官僚です。人麻呂と同じように和歌を詠む才能を愛され、天皇や皇族たちと旅行に出掛けることも多くありました。人麻呂と並んで「山柿(さんし)」とよばれ歌聖として尊敬されています。

注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


point-5猿丸大夫(さるまるだゆう)

第5番
猿丸大夫
(さるまるだゆう)

奥山に もみぢふみわけ なく鹿の 声きくときぞ 秋はかなしき

☆ おくやまに もみぢふみわけ なくしかの こゑきくときぞ あきはかなしき
★ おくやまに もみじふみわけ なくしかの こえきくときぞ あきはかなしき


小倉百人一首_猿丸大夫(さるまるだゆう) 小倉百人一首_猿丸大夫(さるまるだゆう)の意味  人里離れた山の奥深くで、散って敷きつめられたような紅葉を踏みながら鳴いている鹿の声を聞いたときこそ、秋がひときわもの寂しく感じられるものだなぁ。

小倉百人一首_猿丸大夫(さるまるだゆう)の鑑賞  秋も深まり、山は紅葉の葉もだいぶ落ちました。葉が落ちたことによって、木々の黒っぽい幹や枝が見え、地面は赤や黄色に埋め尽くされています。そんな静かな秋のある一日に、カサッカサッと音がするなか、鹿の鳴く声が、「ケーン」、「ケーン」と澄み渡った空気のなかに、響いてきます。そんな景色が目に浮かぶような和歌です。猿丸大夫は、奥山に入っていたのでしょうか?ひとりで散策をしていたのかもしれませんし、多くの同僚とともに景色を愛でながら管弦の宴に参加していたのかもしれません。ひとりでいるときよりも大勢のなかにいるときの方が、より寂しさを感じることがあると思いますが、猿丸大夫も、ふとそんな気持ちになったのかもしれませんね。

小倉百人一首_作者猿丸大夫(さるまるだゆう)について  猿丸大夫は、その来歴がまったく記録に残っていない、謎の歌人です。猿丸は名前、大夫とは神職のひとつで、特に神楽や奉納舞のような芸能で神様にお仕えする職業なのですが、あまりにも正体不明なので、政変で敗れた皇子の世を忍ぶ名前だとか、没落した皇族や有力政治家だった人物が名前を出せないでいる、などと憶測されてきました。

注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


point-6中納言家持(ちゅうなごんやかもち)

第6番
中納言家持
(ちゅうなごんやかもち)

かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける

☆★ かささぎの わたせるはしに おくしもの しろきをみれば よぞふけにける


小倉百人一首_中納言家持(ちゅうなごんやかもち) 小倉百人一首_中納言家持(ちゅうなごんやかもち)の意味  七夕の夜に天の川に橋を掛けるというカササギ。そのカササギが天界のような宮殿に掛けた橋に霜が降りているなぁ。その白さにを見ると、夜がずいぶんと更けたなぁと思う。

小倉百人一首_中納言家持(ちゅうなごんやかもち)の鑑賞  奈良時代の昔のことですから、もちろん電気はありません。霜が降りている様子は見えるようなので、きっと月明かりがあるのでしょう。冬の夜の静かで冴え渡った景色が目に浮かびませんか?

小倉百人一首_作者中納言家持(ちゅうなごんやかもち)について  中納言家持は、本名を大伴家持(おおとものやかもち)といいます。いまから1350年ほど前の官僚です。中納言は職名で、奈良時代ではなかなかの高官でした。大伴氏は、後に貴族のほとんどを占める藤原氏よりもずっと古い家柄でしたが、家持の生きた時代は、藤原氏の勢力に圧され、大伴氏はかつての勢力を失いつつありました。そんななか、家持は、勤勉に天皇にお仕えし、また和歌を詠むのがとても上手でした。日本最古の歌集である『万葉集』の編者であると考えられています。

注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


point-7阿倍仲麿(あべのなかまろ)

第7番
阿倍仲麿
(あべのなかまろ)

天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも

☆★ あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも


小倉百人一首_阿倍仲麿(あべのなかまろ) 小倉百人一首_阿倍仲麿(あべのなかまろ)の意味  はるか大空を見上げてみると、月がとても美しいなぁ。あの月は、故郷の奈良の春日にある三笠山にかかっている月と同じなんだろうなぁ。

小倉百人一首_阿倍仲麿(あべのなかまろ)の鑑賞  この和歌は、仲麿がいよいよ日本へ帰国できるというとき、送別会の席で詠んだといわれています。長く離れていた故郷を思う気持ちがとてもストレートに伝わってきますね。この後、船が遭難して結局、日本へ帰れずに中国で亡くなったことを思い合わせると、なんとも切ない気持ちになる和歌です。

小倉百人一首_作者阿倍仲麿(あべのなかまろ)について  阿倍仲麿は、仲麻呂とも書きます。いまから1300年ほど前の官僚です。若いときから優秀だったので、20歳のときにいまの中国である唐(とう)へ勉強をしに行きました。当時の中国は、日本よりもずっと文化が進んでいて、多くの優秀な日本人が勉強に行ったのです。仲麿は中国で一生懸命勉強し、科挙(かきょ)というとても難しい試験に合格して、中国の皇帝にお仕えしました。35年もの間、中国で勤め、いよいよ日本に帰ろうとしたとき、日本へ向かう船が遭難し、仲麿は再び中国へ戻らなければならなくなりました。そして、一度も日本に帰ることなく、73歳で中国で亡くなりました。

注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


point-8喜撰法師(きせんほうし)

第8番
喜撰法師
(きせんほうし)

わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり

☆ わがいほは みやこのたつみ しかぞすむ よをうぢやまと ひとはいふなり
★ わがいおは みやこのたつみ しかぞすむ よをうじやまと ひとはいうなり

小倉百人一首_喜撰法師(きせんほうし) 小倉百人一首_喜撰法師(きせんほうし)の意味  私が住んでいるお坊さんの住む庵は、都である平安京のはるか離れた東南にあるものだから、おかげさまで心静かに住んでいるのですよ。なのに、皆さんは、私が人々とのお付き合いがわずらわしいと思って、そんなところに住んでいると言っているようですね。

小倉百人一首_喜撰法師(きせんほうし)の鑑賞  いまも昔も噂好きなひとがいたようですね。根も葉もない噂は気にしないでいられたら気持ちもラクなのだけど、あまりにも本心と違うことを言われたり、あることないことを言われたりすると、少しわずらわしく感じることはありませんか?喜撰法師もきっとそんな気持ちだったのでしょうね。

小倉百人一首_作者喜撰法師(きせんほうし)について  喜撰法師は、京都のお茶で有名な現在の宇治市に住んでいたお坊さんです。いまから1200年ほど前の平安時代の初めに生きたひとです。この第8番の歌ともう一首が伝わるのみで、まったく正体が不明です。貴族の子息だとか、天皇の出家した後のお名前だとかいわれていますが、詳しいことはわかっていません。第35番の歌人である紀貫之(きのつらゆき)が選んだ、六人の優れた歌人『六歌仙』のひとりにも選ばれています。

注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


point-9小野小町(おののこまち)

第9番
小野小町
(おののこまち)

花の色は うつりにけりな いたづらに わが身よにふる ながめせしまに

☆ はなのいろは うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに
★ はなのいろは うつりにけりな いたずらに わがみよにふる ながめせしまに


小倉百人一首_小野小町(おののこまち) 小倉百人一首_小野小町(おののこまち)の意味  春も終わりかしら。桜の花の色が、長雨にあたって、ずいぶんと色あせてしまったのね。その桜の花の色と同じように、私の美しさもおとろえてしまったわ。恋愛の悩みなんかに思い悩んで、むだに長雨を眺めながら、ぼんやりと暮らしているうちに・・・。

小倉百人一首_小野小町(おののこまち)の鑑賞  いまも昔も、女の人の悩みは、恋愛と自分の姿の美しさのようですね。皆さんが小野小町のように悩む日は、まだまだ先のことでしょうけど、どうか後悔をしない、恋愛と自分磨きをしてくださいね。

小倉百人一首_作者小野小町(おののこまち)について  小野小町は、いまから1150年ほど前の宮廷女官と考えられています。昔は、女性の本名や家族関係などは公の記録に残ることが少なかったので、小野小町の本名も伝わっていません。絶世の美女だったといわれています。可愛い女の子や綺麗な女性を「○○小町」、「小町娘」などというのは、この小野小町から来ています。『小倉百人一首』の絵札では、後ろを向いていますよ。どんなに綺麗だったのか、気になりますね。第35番の歌人である紀貫之(きのつらゆき)が選んだ、六人の優れた歌人『六歌仙』のひとりにも選ばれています。

注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


point-10蝉丸(せみまる)

第10番
蝉丸
(せみまる)

これやこの 行くも帰るも わかれては 知るも知らぬも あふ坂の関

☆ これやこの ゆくもかへるも わかれては しるもしらぬも あふさかのせき
★ これやこの いくもかえるも わかれては しるもしらぬも おおさかのせき


小倉百人一首_蝉丸(せみまる) 小倉百人一首_蝉丸(せみまる)の意味  これはまぁまぁ、京の都からはるか東国へ行く人も、東国から都へ帰ってくる人も、ここで別れては出会い、知り合いの人も、まったくお互いを知らない人も、会っては別れていることだ。その名前のとおり「あふさか」(会う坂=逢坂)の関だなぁ。

小倉百人一首_蝉丸(せみまる)の鑑賞  逢坂の関は、京都の周囲に三箇所あった関所のうちのひとつで、現在の京都府と滋賀県の間あたりにありました。蝉丸は、この関所の近くに住んで、人々が往来する様子を眺めていたのでしょうか。それとも、蝉丸自身も関所を行き交ったのでしょうか。蝉丸は、関所の往来になぞらえて、人間の出会いと別れをも詠っているようです。皆さんも、小さい頃、仲良く遊んだお友達となんとなく疎遠になったり、幼稚園や小学校が違って、会わなくなったお友達がいるでしょう。生きていれば、たくさんの新しい出会いがありますが、また多くの別れもあります。皆さんもいまそばにいるお友達や、そして家族を大事に思って、生きてくださいね。

小倉百人一首_作者蝉丸(せみまる)について  蝉丸は、いまから1100年ほど前のひとです。詳しい来歴は伝わっていません。宇多天皇(うだてんのう)の皇子敦実親王(あつざねしんのう)の家来とも、醍醐天皇(だいごてんのう)の皇子ともいわれています。また、琵琶の名人だったそうで、盲目の琵琶法師だったとも、逢坂関(おうさかのせき)の関所にいた乞食ともいわれています。『小倉百人一首』の絵札では、琵琶を持ち、絵によってはお坊さんのようにも見えるので、坊主めくりでは、蝉丸ルールというローカルルールがある地方もあります。

注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


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