ポイント解説11番~20番

point-1参議篁(さんぎたかむら)

第11番
参議篁
(さんぎたかむら)

わたの原 八十島かけて こぎいでぬと 人には告げよ あまのつり舟

☆ わたのはら やそしまかけて こぎいでぬと ひとにはつげよ あまのつりぶね
★ わたのはら やそしまかけて こぎいでんと ひとにはつげよ あまのつりぶね


小倉百人一首_参議篁(さんぎたかむら) 小倉百人一首_参議篁(さんぎたかむら)の意味  はるかにひろびろとした大海原に、ぽつんぽつんと無数に浮かぶ島を目指して、漕ぎ出して行ったのだと、どうか都にいる愛しいあの人につたえてください、釣り船に乗った漁師さん。

小倉百人一首_参議篁(さんぎたかむら)の鑑賞  天皇の怒りを買い、貴族の称号も役職もすべて取り上げられ、愛する人ととも引き離されて、遠い島へ行かなければならなかった篁の孤独な気持ちが、ひしひしと伝わってきませんか?後に赦されて都へ還り、愛する人にも再会できたのだと思いますが、この和歌を詠んだときの篁は、そんな自分の未来を知りません。ただひたすら、不安と寂しさをかかえながらの旅立ちだったでしょう。漁師という都へ伝える術の無さそうな相手に呼びかけていることが余計に、篁がひとりぽっちであることを際立たせているように思います。

小倉百人一首_作者参議篁(さんぎたかむら)について  参議篁は、本名を小野篁(おののたかむら)といいます。いまから1200年ほど前の官僚で、学才に優れ、和歌を詠むのも上手でした。参議は職名で、貴族のなかではまあまあの地位でした。その才能と人柄を買われ、天皇の替わりに中国の皇帝へご挨拶をする使者である遣唐使(けんとうし)の二番目に偉い副使(ふくし)に選ばれたのですが、大使(たいし)である藤原常嗣(ふじわらのつねつぐ)が、篁の乗る船と、自分の壊れた船を取り替えたことに不満を持ち、仮病を使って中国へ渡るのを止めてしまいました。天皇の命令に叛いたとして、現在の島根県隠岐の島へ流罪になりました。篁37歳のときのことです。後に赦され、51歳で亡くなるまで天皇にお仕えしました。

注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


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point-2僧正遍昭(そうじょうへんじょう)

第12番
僧正遍昭
(そうじょうへんじょう)

天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ


☆ あまつかぜ くものかよひぢ ふきとぢよ をとめのすがた しばしとどめむ
★ あまつかぜ くものかよいじ ふきとじよ おとめのすがた しばしとどめん


小倉百人一首_僧正遍昭(そうじょうへんじょう) 小倉百人一首_僧正遍昭(そうじょうへんじょう)の意味 空を吹く風よ。天女が還るという雲の道を吹き閉ざしておくれ。天女のように美しい舞姫の姿をもう少しこの地上に留めておきたいのだよ。

小倉百人一首_僧正遍昭(そうじょうへんじょう)の鑑賞  宮中の儀式のひとつ、「五節の舞姫(ごせちのまいひめ)」を詠った和歌です。陰暦11月(現在の10月ごろ)に行なわれる「豊明節会(とよあかりのせちえ)」のなかで、五人の舞姫が舞を舞うものがありました。舞姫は天女の衣装を着て舞ったそうです。色とりどりの衣装をひらめかせ、優美に舞う舞姫の姿を目の前にして、遍昭も「綺麗だなぁ」と眺めていたに違いありません。お坊さんなのに、綺麗な女の人を和歌に詠むなんて、遍昭は、なかなか自由な人だったようですね。

小倉百人一首_作者タイトルについて  僧正遍昭は、本名を良岑宗貞(よしみねのむねさだ)といいます。いまから1200年ほど前の貴族で僧侶です。京都に都を移し、平安京を造った桓武天皇(かんむてんのう)の孫にあたります。従兄弟にあたる仁明天皇(にんみょうてんのう)にお仕えしていましたが、天皇が亡くなられたとき、35歳で出家してからは、遍昭と名乗り、その血筋と仏教の普及に努めたことから、僧正という高い地位になりました。第35番の歌人である紀貫之(きのつらゆき)が選んだ、六人の優れた歌人『六歌仙』のひとりにも選ばれています。第21番の歌人である素性法師(そせいほうし)は息子です。


注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


point-3陽成院(ようぜいいん)

第13番
陽成院
(ようぜいいん)

つくばねの 峰よりおつる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる


☆ つくばねの みねよりおつる みなのかは こひぞつもりて ふちとなりぬる
★ つくばねの みねよりおつる みなのかわ こいぞつもりて ふちとなりぬる


小倉百人一首_陽成院(ようぜいいん) 小倉百人一首_陽成院(ようぜいいん)の意味 茨城県にある筑波山の峰から流れ落ちる川には、「みな」(タニシのような小さい貝類のこと)が住むような泥が積もって深い淵(水が深くて澱んでいるところ)ができているでしょう。わたしのあなたを恋しく思う気持ちも、積もり積もって深い深い淵をつくってしまいましたよ。

小倉百人一首_陽成院(ようぜいいん)の鑑賞  妃のひとりである綏子内親王(すいし/やすこないしんのう)へ贈った和歌です。山から滲み出した水が集まり、誰に知られることなく清流となって流れていく。そして、その流れもやがて深い深い泥をも積もらせていく・・・。そんな川の流れに自分の恋心をたとえています。恋が叶うまでの気持ちを切なく詠った和歌として、古くから親しまれてきました。

小倉百人一首_作者タイトルについて  陽成院は、陽成天皇(ようぜいてんのう)という、いまから1100年ほど前の天皇です。「院」とは、位を退いた後の呼び名です。17歳のときに病のために天皇位を降り、82歳で亡くなりました。


注1)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。

注2)女性は、本名すら伝わることも稀なので、正確な読み方もわからない場合が多いです。混乱を避けるため、女性の名前は一般的に音読みされます。訓読みが浸透している女性のみ訓読みも記すことにします。


point-4河原左大臣(かわらのさだいじん)

第14番
河原左大臣
(かわらのさだいじん)

みちのくの しのぶもぢずり たれゆゑに 乱れそめにし われならなくに


☆ みちのくの しのぶもぢずり たれゆゑに みだれそめにし われならなくに
★ みちのくの しのぶもじずり たれゆえに みだれそめにし われならなくに


小倉百人一首_河原左大臣(かわらのさだいじん) 小倉百人一首_河原左大臣(かわらのさだいじん)の意味 陸奥(みちのく)の信夫(しのぶ/現在の福島県信夫郡)で作られるという「しのぶもじ摺り」という乱れ染めの布の文様のように、わたしの心も乱れてしまったのです。だれのせいなのでしょうね。わたしはだれにも心を乱されたくはなかったのに。

小倉百人一首_河原左大臣(かわらのさだいじん)の鑑賞  好きな人のことを考えたり姿を見ただけで、ドキドキしたり何気ないひと言や行動がで一喜一憂したり・・・。そんな自分の気持ちがかき乱されて、平常心でいられないことをもどかしく思うことがあるでしょう。恋する相手がいることの幸せはもちろんだけど、自分の心が自分のものではないような状態。この和歌は、そんな気持ちを詠っているのでしょうね。

小倉百人一首_作者河原左大臣(かわらのさだいじん)について  河原左大臣は、本名を源融(みなもとのとおる)といいます。「河原」は「河原院(かわらのいん)」という平安京のなかにあった融の邸宅の名前です。とても豪華なお屋敷だったので、『源氏物語』のなかの光源氏(ひかるげんじ)の大邸宅「六条院(ろくじょういん)」のモデルとなったといわれています。「左大臣」は、大臣職の二番目です。「河原左大臣」は、「河原院に住んでいた左大臣」という意味です。融は、いまから1150年ほど前の平安時代の貴族です。嵯峨天皇(さがてんのう)の皇子でしたが、苗字をもらって皇族から離れました。血筋の高貴さに加え、才能と財力に恵まれた人物です。


注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


point-5光孝天皇(こうこうてんのう)

第15番
光孝天皇
(こうこうてんのう)

君がため 春の野にいでて 若菜つむ わが衣手に 雪はふりつつ


☆★ きみがため はるののにいでて わかなつむ わがころもでに ゆきはふりつつ


小倉百人一首_タイトル 小倉百人一首_タイトルの意味 あなたに差し上げようと、春の野に出て若菜を摘んでいるわたしの袖に、雪がしきりに降り続けていますよ。

小倉百人一首_タイトルの鑑賞  若菜とは薬草のことです。いまでも1月7日に七草粥を食べる習慣があるでしょう。皇子時代に詠まれた和歌と考えられますが、皇子ご自身が雪の降るなかを若菜を摘みにいかれたのではないでしょう。きっと、若菜に添えてどなたかに贈られた和歌なのでしょう。柔らかい新芽の優しい緑色が一面に広がるなか、真っ白い雪がちらちらと降っています。その景色のなか、烏帽子(えぼし/高貴な男性は、必ず烏帽子か冠を被っていました)の黒と新年らしい若々しい色合いの着物を着た皇子が若菜を摘んでいる様子は、美しい1枚の絵のようではありませんか?

小倉百人一首_作者タイトルについて  光孝天皇は、いまから1150年ほど前の天皇です。55歳で即位されるまで、一皇子として過ごされました。皇子としての生活は保障されていたものの、生活は大貴族などよりも豊かではなかったようで、即位の後もご自身で炊事をされた、との逸話も伝わっています。これは、本当に天皇がそうされたのではなく、皇子時代からのお人柄の優しさがこのようなエピソードを伝えさせたのでしょう。


注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


point-6中納言行平(ちゅうなごんゆきひら)

第16番
中納言行平
(ちゅうなごんゆきひら)

たちわかれ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば いま帰りこむ


☆ たちわかれ いなばのやまの みねにおふる まつとしきかば いまかへりこむ
★ たちわかれ いなばのやまの みねのおうる まつとしきかば いまかえりこん


小倉百人一首_タイトル 小倉百人一首_タイトルの意味 いま、あなたと別れて因幡国(現在の鳥取県)へ行っても、稲葉山(鳥取県にある山)の峰に生えている松の木の名前のように、あなたがわたしを「待つ」と言ってくださるのを聞いたなら、すぐに帰って来ましょう。

小倉百人一首_タイトルの鑑賞  行平が38歳のとき、因幡守(いなばのかみ)として、因幡国へ下向しました。守はいまでいう県知事のような役職です。和歌を贈った相手は都にいるのですから、遠距離恋愛になってしまうわけです。現在のように電話もメールも無く、馬が最速の交通手段の時代ですから、会いたくてもなかなか会えませんね。そんな事情をわかっていながら、「すぐに帰ってくるからね」と詠んだ行平の恋人への心細い気持ちがひしひしと伝わってはきませんか?

小倉百人一首_作者タイトルについて  中納言行平は、本名を在原行平(ありわらのゆきひら)といいます。いまから1350年ほど前の平安時代の貴族です。平城天皇(へいぜいてんのう)の孫でしたが、苗字を与えられ、皇族ではなくなりました。第17番の歌人である在原業平(ありわらのなりひら)は異母弟にあたります。中納言は職名で、平安時代ではそこそこの高官でした。40歳の頃、須磨(すま/現在の兵庫県神戸市)に流されました。後に赦されましたが、『源氏物語』で光源氏(ひかるげんじ)が須磨へ流されたモデルになったといわれています。


注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


point-7在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)

第17番
在原業平朝臣
(ありわらのなりひらあそん)

ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは


☆ ちはやぶる かみよもきかず たつたがは からくれなゐに みずくくるとは
★ ちはやぶる かみよもきかず たつたがわ からくれないに みずくくるとは


小倉百人一首_タイトル 小倉百人一首_タイトルの意味 不思議なことが多い、神様がこの世界を治めておられた時代にも、聞いたことがありませんよ。紅葉の名所の竜田川が、紅葉を散らして鮮やかな紅色に、水を「くくり染め」にしているとは。

小倉百人一首_タイトルの鑑賞  「くくり染め」とは布の染め方の一種です。現在の絞り染めと同じものです。この和歌は、業平が本当に竜田川のほとりで詠んだのではなく、皇太子妃藤原高子(ふじわらのこうし/たかいこ)の御殿で行なわれた歌会で、屏風に描かれた竜田川の紅葉を詠ったものです。ただ、「紅葉が紅色で綺麗だなぁ」と詠むのではなく、「神様の時代でも聞いたことがない」、「水をくくり染めにするなんて」というスケールの大きな発想が、詠まれた情景をより面白く色鮮やかに浮かばせていると思いませんか?

小倉百人一首_作者タイトルについて  在原業平は、いまから1350年ほど前の貴族です。平城天皇(へいぜいてんのう)の孫でしたが、苗字を与えられ、皇族ではなくなりました。第16番の歌人である在原行平(ありわらのゆきひら)の異母弟にあたります。とても美男で恋愛上手だったそうで、『伊勢物語』の主人公だと考えられています。また、第35番の歌人である紀貫之(きのつらゆき)が選んだ、六人の優れた歌人『六歌仙』のひとりにも選ばれています。


注1)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。

注2)女性は、本名すら伝わることも稀なので、正確な読み方もわからない場合が多いです。混乱を避けるため、女性の名前は一般的に音読みされます。訓読みが浸透している女性のみ訓読みも記すことにします。


point-8藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆきあそん)

第18番
藤原敏行朝臣
(ふじわらのとしゆきあそん)

すみの江の 岸による波 よるさへや 夢のかよひ路 人めよくらむ


☆ すみのえの きしによるなみ よるさへや ゆめのかよひぢ ひとめよくらむ
★ すみのえの きしによるなみ よるさえや ゆめのかよいじ ひとめよくらん


小倉百人一首_タイトル 小倉百人一首_タイトルの意味1. すみの江(現在の大阪市住吉区の海辺)の岸にうち寄る波の「よる」ということばのように、どうしてわたしは、夜の夢のなかまでも、恋するあなたの家へ通う路で、人目を避けるのでしょう。

2. すみの江(現在の大阪市住吉区の海辺)の岸にうち寄る波の「よる」ということばのように、どうしてあなたは、夜の夢のなかまでも、人目を避けようとするのでしょう。

小倉百人一首_タイトルの鑑賞  人には言えない恋愛関係だったのでしょうか?夢でまで人目を避けなければならないとは、辛いことですね。この和歌の解釈は二説あります。1.は、人目を避けているのは詠み手。2.は、人目を避けているのは恋人側というものです。1.と2.では、「夢のかよひ路」の解釈に違いがあり、1.は「夢をみる」と「恋人の家へ向かう路」を掛けていますが、2.は「夢をみる」の意味だけとなります。古来より1.の解釈の方が採られてきたようですが、あなたはどちらがお好きですか?

小倉百人一首_作者タイトルについて  藤原敏行は、いまから1050年ほど前の官僚です。さほど高い地位へは登りませんでしたが、実務官僚として務めました。書道と和歌に優れていたと伝わっています。


注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


point-9伊勢(いせ)

第19番
伊勢
(いせ)

難波潟 みじかき葦の ふしのまも あはでこの世を すぐしてよとや


☆ なにはがた みじかきあしの ふしのまも あはでこのよを すぐしてよとや
★ なにわがた まじかきあしの ふしのまも あわでこのよを すぐしてよとや


小倉百人一首_タイトル 小倉百人一首_タイトルの意味 難波潟(現在の大阪湾)に生える葦の、短い節と節の間のような短い間でさえも、あなたに会わないで、どうやってこの世を過ごせとおっしゃるのでしょうか。

小倉百人一首_タイトルの鑑賞  逢いたいのに、なかなか逢えない、いえ、逢ってくれない恋人に、なんて言ったら嫌われずに気持ちを伝えられるでしょうね。現代も昔も悩みは同じのようです。切ない気持ちを強く言い切った伊勢の心の叫びが聞こえてくるような気がしませんか?

小倉百人一首_作者タイトルについて  伊勢は、1100年ほど前の中流貴族の娘です。宇多天皇(うだてんのう)の寵愛を受けて、皇子を産みました。女性の本名が伝わることの少なかった時代ですので、本名は伝わりません。和歌を詠むのが上手でした。


注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


point-10元良親王(もとよししんのう)

第20番
元良親王
(もとよししんのう)

わびぬれば いまはたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思ふ


☆ わびぬれば いまはたおなじ なにはなる みをつくしても あはむとぞおもふ
★ わびぬれば いまはたおなじ なにわなる みをつくしても あわんとぞおもう


小倉百人一首_タイトル 小倉百人一首_タイトルの意味 逢うこともできないで、このように思いわずらっているいまは、もう身を捨てたのと同じことです。いっそのこと、難波潟(現在の大阪湾)にみえる航路を示す杭である「澪標(みおつくし)」の名のように、身を尽くしてでもあなたに逢いたいと思うのです。

小倉百人一首_タイトルの鑑賞  宇多天皇(うだてんのう)の妃のひとりである藤原褒子(ふじわらのほうし)との道ならぬ恋が露見してしまい、そのことを嘆いた和歌です。結婚の契約が現代よりも緩かった時代ですが、さすがに天皇のお妃との不倫関係は、世間から責められるものでした。自分の立場よりも、恋人に会いたい気持ちを詠う元良親王の切なくも激しい気持ちに胸が詰まるようではありませんか?

小倉百人一首_作者タイトルについて  本良親王は、いまから1100年ほど前の皇子です。第13番の歌人である陽成院(ようぜいいん)の第一皇子でした。第一皇子でしたが、父院が退位された後に生まれたので、生涯、皇位とは無縁でした。和歌を詠むのが上手でした。


注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。

注2)女性は、本名すら伝わることも稀なので、正確な読み方もわからない場合が多いです。混乱を避けるため、女性の名前は一般的に音読みされます。訓読みが浸透している女性のみ訓読みも記すことにします。


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