ポイント解説61番~70番

point-1良暹法師(りょうぜんほうし)

第70番
良暹法師
(りょうぜんほうし)

さびしさに 宿をたちいでて ながむれば いづこもおなじ 秋の夕ぐれ


☆ さびしさに やどをたちいでて ながむれば いづこもおなじ あきのゆふぐれ
★ さびしさに やどをたちいでて ながむれば いづこもおなじ あきのゆうぐれ


小倉百人一首_タイトル 小倉百人一首_タイトルの意味 あまりの寂しさに耐えかねて、思わず庵を出て、あたりを見回してみたけれど、どこもかしこも同じ寂しい景色でしたよ。この秋の夕暮れは。

小倉百人一首_タイトルの鑑賞  葉の落ちた木々、枯れ草のそよぐ草原。日が暮れるのも早くなり、空気もひんやりとして、秋が寂しい気持ちにさせるのは、賑やかな現代でも、なんとなく理解できますよね。良暹はお坊さんですから、きっとひとりで小さな庵に住んでいたのでしょう。電気も電話、もちろんメールもテレビも無い生活です。ほら、良暹さんの気持ちが少し理解できませんか?

小倉百人一首_作者タイトルについて  良暹法師は、いまから950年ほど前の僧侶です。その生涯は詳しくわかっていません。歌人として活躍しました。


注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


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point-2能因法師(のういんほうし)

第69番
能因法師
(のういんほうし)

あらし吹く み室の山の もみぢばは 竜田の川の 錦なりけり


☆ あらしふく みむろのやまの もみぢばは たつたのかはの にしきなりけり
★ あらしふく みむろのやまの もみじばは たつたのかわの にしきなりけり


小倉百人一首_タイトル 小倉百人一首_タイトルの意味 嵐が吹き降ろす神さまのおいでになる御室山の紅葉は、竜田川(奈良県西部を流れる川。古くより紅葉の名所として有名。)に散り落ちて、まるで錦のようです。

小倉百人一首_タイトルの鑑賞  情景が目に浮かぶような和歌ですね。特に技巧を凝らした言葉あそびが使われているわけでもなく、のびのびと秋の美しさを詠っています。

小倉百人一首_作者タイトルについて  能因法師は、俗名を橘永愷(たちばなのながやす)といいます。下級官僚の息子で、はじめ文章生(もんじょうせい)として学者を目指していました。30歳の頃に出家して、歌人として活躍しました。


注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


point-3三条院(さんじょういん)

第68番
三条院
(さんじょういん)

心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな


☆ こころにも あらでうきよに ながらへば こひしかるべき よはのつきかな
★ こころにも あらでうきよに ながらえば こいしかるべき よわのつきかな


小倉百人一首_タイトル 小倉百人一首_タイトルの意味 思いがけなく、このつらい世を生きながらえていたならば、きっと恋しく思い出すだろう。この美しい夜半の月を。

小倉百人一首_タイトルの鑑賞 三条院と道長は、恐らく性格も関係していたのでしょうが、利害関係が合わず、院の在位中は、つらいことが多かったようです。院には、道長の娘とは違うお后に皇子がいて、その皇子を皇太子にしたかったのですが、道長は自分の血をひく皇子を即位させたかったのです。そして、その皇子を即位させるため、院にさまざまな圧力をかけました。この和歌は、退位を覚悟しなければならなくなった状況で詠まれました。眼病で、今夜のような美しい月をみることはできなくなるかも知れない恐れ、そして帝王として、皇位のこと、皇子のこと、そして道長の自分への仕打ちのこと、心のうちを誰にも明かせない苦しみが、ひしひしと伝わってくるようではありませんか?

小倉百人一首_作者タイトルについて  三条院は、三条天皇(さんじょうてんのう)という、いまから1000年ほど前の天皇です。「院」とは位を退いた後の呼び名です。三条院は、藤原道長(ふじわらのみちなが)権勢時代の天皇で、道長の娘をお后にしていましたが、皇子に恵まれず、また性格も道長とあまり合いませんでした。病弱で、眼を患われたこともあって退位されました。


注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


point-4周防内侍(すおうのないし)

第67番
周防内侍
(すおうのないし)

春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなくたたむ 名こそ惜しけれ


☆ はるのよの ゆめばかりなる たまくらに かひなくたたむ なこそおしけれ
★ はるのよの ゆめばかりなる たまくらに かいなくたたん なこそおしけれ


小倉百人一首_タイトル 小倉百人一首_タイトルの意味 春の夜の夢のように、儚くて短いたわむれに差し出された手枕(腕枕のこと)のために、つまらない噂がたってしまうでしょうね。そんなことで、恥ずかしくわたしの名が広まることが、惜しく思われますよ。

小倉百人一首_タイトルの鑑賞  二月の夜に、親しい友人たちと夜更けまで話し込んでいたときに、眠くなったのか、物に寄りかかって「枕が欲しいわ」と内侍がささやいたのを聞いた藤原忠家(ふじわらのただいえ)が、「これを枕にどうぞ」と言って、御簾のしたから腕を差し出したのをからかって詠んだ和歌だそうです。旧暦二月はいまの三月頃ですから、夜風に梅の香りや草木の萌えはじめる甘い香りがただよっている夜でしょうね。忠家は、この内侍の和歌に、「ちぎりありて 春の夜ふかき 手枕を いかがかひなき 夢になすべき」と返しました。意味は、「前世からの深いご縁があるのに、いまこの春の夜更けの手枕をなぜ無意味で儚い夢で終わらせられるでしょうか。」と、なかなか本気っぽいです。ふたりとも30代半ばのときの和歌ですから、大人の洒落っ気で詠んだのでしょうね。忠家は、『小倉百人一首』を選んだ藤原定家(ふじわらのていか)の曽祖父にあたるひとです。曽祖父の面白エピソードを選ぶなんて、定家もなかなかウィットに富んでいますね。

小倉百人一首_作者タイトルについて  周防内侍は、いまから900年ほど前の宮廷女官です。本名は平仲子(たいらのちゅうし)。父である平棟仲(たいらのむねなか)が周防守であったため、周防内侍と呼ばれました。


注1)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。

注2)女性は、本名すら伝わることも稀なので、正確な読み方もわからない場合が多いです。混乱を避けるため、女性の名前は一般的に音読みされます。訓読みが浸透している女性のみ訓読みも記すことにします。


point-5前大僧正行尊(さきのだいそうじょうぎょうそん)

第66番
前大僧正行尊
(さきのだいそうじょうぎょうそん)

もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし


☆ もろともに あはれとおもへ やまざくら はなよりほかに しるひともなし
★ もろともに あわれとおもえ やまざくら はなよりほかに しるひともなし


小倉百人一首_タイトル 小倉百人一首_タイトルの意味 山桜よ。わたしがおまえをしみじみと懐かしく思うように、わたしのことも懐かしく思っておくれ。こんな山奥にわけいったいまのわたしには、おまえのほかに、この心のうちを知ってくれるひともいないのだからなぁ。

小倉百人一首_タイトルの鑑賞  修行のために、大峰山(現在の奈良県南部の山。吉野山や熊野山へ続き、古来より修験道が盛んでした。)へわけいった行尊が、思いがけず山桜を見たときに、感嘆して詠んだ和歌です。誰に知られることなく、美しく咲き誇る山桜に対する行尊の優しさと愛情がにじみ出ていますね。そして、人の心の通じがたさ、寂しさを感じている様子に、行尊の人生観を垣間見たような気がします。

小倉百人一首_作者タイトルについて  前大僧正行尊は、いまから900年ほど前の僧侶です。貴族の息子でしたが、12歳のときに出家し、宇治の平等院や比叡山延暦寺で勤めました。大僧正は僧侶の最高職です。「前の」とはその職を辞した、という意味です。多くの崇敬を集めた高僧でした。


注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


point-6相模(さがみ)

第65番
相模
(さがみ)

恨みわび ほさぬ袖だに あるものを 恋にくちなむ 名こそ惜しけれ


☆ うらみわび ほさぬそでだに あるものを こひにくちなむ なこそおしけれ
★ うらみわび ほさぬそでだに あるものを こいにくちなん なこそおしけれ


小倉百人一首_タイトル 小倉百人一首_タイトルの意味 あの方のつれなさに、恨み嘆いて、涙に濡れた袖が乾くひまもなく朽ちてしまいそうなのに、それにもまして、恋の噂が、みっともなく広まって、わたしの名が空しく朽ち果ててしまうかもしれないのは惜しいことです。

小倉百人一首_タイトルの鑑賞  恋する相手の冷たいしうちに、突っ伏して嘆いている様子が目に浮かぶような和歌ではありませんか?「ふられたらしいよ」なんて噂が流れて、自分の評判が落ちることを心配しているのではないと思います。こんな風に言わなければならないくらい、相手のしうちを恨めしく哀しく思っているのだと思います。

小倉百人一首_作者タイトルについて  相模は、いまから1000年ほど前の宮廷女官です。はじめ乙侍従(おとじじゅう)と呼ばれていましたが、相模守(さがみのかみ)大江公資(おおえのきんすけ)と結婚した後は相模と呼ばれるようになりました。一条天皇(いちじょうてんのう)皇女である脩子内親王(しゅうしないしんのう)、後朱雀天皇(ごすざくてんのう)皇女である祐子内親王(ゆうしないしんのう)に仕えました。第64番の歌人で藤原定頼(ふじわらのさだより)と恋愛関係にあったこともあります。


注1)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。

注2)女性は、本名すら伝わることも稀なので、正確な読み方もわからない場合が多いです。混乱を避けるため、女性の名前は一般的に音読みされます。訓読みが浸透している女性のみ訓読みも記すことにします。


point-7権中納言定頼(ごんちゅうなごんさだより)

第64番
権中納言定頼
(ごんちゅうなごんさだより)

朝ぼらけ 宇治の川霧 絶え絶えに あらはれわたる 瀬々の網代木


☆ あさぼらけ うじのかわぎり たえだえに あらはれわたる せぜのあじろぎ
★ あさぼらけ うじのかわぎり たえだえに あらわれわたる せぜのあじろぎ


小倉百人一首_タイトル 小倉百人一首_タイトルの意味 ほのぼのと夜が明ける頃、宇治川(琵琶湖から流れ淀川になる京都府の南を流れる川)にかかる川霧が、とぎれとぎれに薄れていって、その間から次第に見えてくる、魚を捕らえるために仕掛けられている網代木であるなぁ。

小倉百人一首_タイトルの鑑賞  川霧ののぼるひんやりとした朝の空気が感じられそうな和歌ですね。小式部内侍をからかった定頼が、このような和歌を詠んでいるというのも、歌人の違う一面がみられて面白いですね。

小倉百人一首_作者タイトルについて  権中納言定頼は、本名を藤原定頼(ふじわらのさだより)といいます。権中納言は職名で、中の上くらいの地位でした。第55番の歌人である藤原公任(ふじわらのきんとう)の息子です。和歌を詠むのが上手でしたが、小式部内侍(こしきぶのないし)をからかって第60番の和歌をつくらせるなど、少し軽々しい性格だったようです。


注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


point-8左京大夫道雅(さきょうのだいぶみちまさ)

第63番
左京大夫道雅
(さきょうのだいぶみちまさ)

いまはただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな


☆ いまはただ おもひたえなむ とばかりを ひとづてならで いふよしもがな
★ いまはただ おもいたえなむ とばかりを ひとづてならで いうよしもがな


小倉百人一首_タイトル 小倉百人一首_タイトルの意味 いまはもう、あなたのことをあきらめてしまおう、という気持ちを人づてではなく、あなたにお逢いして言う方法があればいいのに。

小倉百人一首_タイトルの鑑賞  伊勢の斎宮(さいぐう)だった当子内親王(とうしないしんのう)との関係が、内親王の父である三条天皇(さんじょうてんのう)の怒りに触れ、ふたりの仲が裂かれてしまったときに詠んだ和歌です。神に仕える斎宮はもちろん恋人をつくってはいけませんが、内親王は斎宮を降りていたので、天皇の行動は厳しすぎるという意見もあったようですが、天皇は内親王をことのほか愛していたので、怒りが収まらなかったようです。内親王16歳、道雅25歳のときのことです。悲嘆にくれた内親王は、出家した後、22歳で亡くなりました。

小倉百人一首_作者タイトルについて  左京大夫道雅は、本名を藤原道雅(ふじわらのみちまさ)といいます。儀同三司(ぎどうさんし)藤原伊周(ふじわらのこれちか)の息子ですから、第54番の歌人である儀同三司母の孫にあたります。


注1)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。

注2)女性は、本名すら伝わることも稀なので、正確な読み方もわからない場合が多いです。混乱を避けるため、女性の名前は一般的に音読みされます。訓読みが浸透している女性のみ訓読みも記すことにします。


point-9清少納言(せいしょうなごん)

第62番
清少納言
(せいしょうなごん)

夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ


☆ よをこめて とりのそらねは はかるとも よにあふさかの せきはゆるさじ
★ よをこめて とりのそらねは はかるとも よにおおさかの せきはゆるさじ


小倉百人一首_タイトル 小倉百人一首_タイトルの意味 夜が明けないうちに、夜明けを告げる鶏の鳴き声をまねて、わたしをだまそうとしても、鶏の鳴き声をまねて門が開いた函谷関(かんこくかん)ならともかく、あなたとわたしの間にある逢坂関は開きませんよ。

小倉百人一首_タイトルの鑑賞  頭の回転が良くて、さっぱりした性格だったらしい清少納言は、男友達がたくさんいたそうです。そのなかのひとり藤原行成(ふじわらのこうぜい)と夜更けまで、清少納言の部屋で話をしていたのですが、「もうこんな時間になってしまった」と言って、夜中の2時頃に行成は帰ってしまいました。朝になって、「昨晩は、鶏が鳴いたものだから急いで帰りました」と手紙を送ってきたので、清少納言は「孟嘗君(もうしょうくん)の鶏ね」と返しました。「孟嘗君の鶏」とは、いまから2000年以上も前の中国の故事です。孟嘗君は中国の政治家でしたが、ある時、捕らえられ殺されそうになり、逃げていました。函谷関を通れれば助かるのですが、この関は夜明けの鶏が鳴かないと明けてくれません。そこで、孟嘗君に仕えていた家来のひとりで鶏の鳴き声の上手なものにまねをさせ、命からがら関を通ることができたのです。嘘がばれてもへこたれない行成は、「あれは函谷関のことでしょう?わたしたちが忍び逢うのは逢坂関のことですよ」と返します。そこへ清少納言が返したのが、この和歌です。「わたしは函谷関のようにだまされて、開いたりしませんよ」と答えているのです。漢籍の教養を駆使した、清少納言の頭の良さがわかる和歌ですね。

小倉百人一首_作者タイトルについて  清少納言は、いまから1000年ほど前の宮廷女官です。第36番の歌人である清原深養父(きよはらのふかやぶ)は曽祖父、第42番の歌人である清原元輔(きよはらのもとすけ)は父にあたります。一条天皇の(いちじょうてんのう)皇后である藤原定子(ふじわらのていし)に仕えました。『枕草子』の作者としても有名です。


注1)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。

注2)女性は、本名すら伝わることも稀なので、正確な読み方もわからない場合が多いです。混乱を避けるため、女性の名前は一般的に音読みされます。訓読みが浸透している女性のみ訓読みも記すことにします。


point-10伊勢大輔(いせのたいふ/いせのおおすけ)

第61番
伊勢大輔
(いせのたいふ/いせのおおすけ)

いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな


☆ いにしへの ならのみやこの やへざくら けふここのへに にほひぬるかな
★ いにしえの ならのみやこの やえざくら きょうここのえに においぬるかな


小倉百人一首_タイトル 小倉百人一首_タイトルの意味 昔みやこのあった奈良の八重桜が、今日は九重の宮中に美しく咲き誇って、一段と輝いていることですよ。

小倉百人一首_タイトルの鑑賞  一条天皇(いちじょうてんのう)のもとへ、奈良から八重桜が贈られたとき、その桜を受け取る役を紫式部(むらさきしきぶ)から譲られ、藤原道長(ふじわらのみちなが)に和歌を詠むように、といわれて即興で詠んだものです。「いにしへ」と「けふ」、八重桜の「八重」と宮中を意味する「九重」、と対比の言葉を上手に使い、華やかな和歌ですね。麗しい宮廷の様子が目に浮かぶようです。

小倉百人一首_作者タイトルについて  伊勢大輔は、いまから1000年ほど前の宮廷女官です。第49番の歌人である大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)は祖父にあたります。父親の大中臣輔親(おおなかとみのすけちか)が、伊勢神宮の祭主で、神祇大副(じんぎおおすけ)という神官だったことから、伊勢大輔(大輔と大副は同じ意味。職種によって字が違います。)と呼ばれました。


注)☆は旧仮名遣い、★は現代仮名遣いよみです。
旧仮名遣いは、仮名のとおりに発音しないものがあるので連記します。
市販されている百人一首カルタは、☆表記になっていますので、☆と★を見比べながら、読んでみてください。


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